日曜定期更新(04/14/2019)「結婚主義国家 儀式失敗 初稿」※ネタバレ注意

日曜日に書く事があっても無くても「とりあえず定期更新」するコーナー。 企画担当のどうでもいい事だったり、時として新作タイトルの事についてだったり、更新して、生存報告する事が第一目的です。

ケイ茶です!
今回は「儀式失敗」になります!
なお、前回同様、今回も完結しているの結構ボリュームありますよ。

※「結婚主義国家」のネタバレが含まれる場合があります。
そのため、本編をすべてプレイしたうえでの閲覧を推奨いたします。

「儀式失敗」の初稿です。
直樹の喋り方が違う他、流れが大分違うものになっています。
これはこれで気に入っている部分はありましたが、起伏少な目でほのぼの過ぎた事と、本作の全体の流れを考えて現在の形に変更されました。 R

;▲
俺たちは、そっとキスをした。

俺たちは、思い切りキスをした。

俺たちは、ゆっくりキスをした。

俺たちは、とにかくキスをしてキスをしてキスをしてキスをした。

だが。

何度やっても、鐘は鳴らなかった。

;▲

【すみれ】
「あららら。困ったねぇ」

のほほん、とした声だった。

普段なら俺はそれに安心して、落ち着く事ができる。だが今は無理だった。

彼女の声を叩き潰すように強く、テーブルに両手をつく。

【直樹】
「すみれ!」

【すみれ】
「はーい」

【直樹】
「わかっているのか!? 鐘が……鐘が、鳴っていないんだ!」

【すみれ】
「鳴らないねぇ」

【直樹】
「あと3日で、結婚式なんだぞ!?」

【すみれ】
「そうだねぇ」

【直樹】
「このままじゃ、俺たち死ぬんだぞ!?」

【すみれ】
「うん。大変だねぇ」

【直樹】
「大変、って。大変って。これは、そんな言葉じゃ言い表せない事態だろうが!」

【すみれ】
「んー。じゃあ……」

【すみれ】
「……」

【すみれ】
「とっても、大変だねぇ」

【直樹】
「そうじゃなくって!」

ああくそ、と。俺は頭をかかえた。

すると、腕輪から伸びる鎖が音をたてて、一層俺の不安を煽る。

これは結婚式において、誓いの儀式をする際に使われる腕輪。通称『結婚腕輪』だ。

本来なら結婚式の時でしか嵌める事のできない特別なものだが、俺の父さんが伝手を使って手にいれてくれた。

……それが、こんな結果になるなんて。

【直樹】
「俺は、ただ安心したかっただけなんだ」

【すみれ】
「うん」

【直樹】
「結婚式でどうすればいいかわからないから、不安で、ずっと眠れなくて」

【直樹】
「それで、1つでも……この儀式だけでも先に体験してみたら安心するはずだって、思っただけなんだ」

【すみれ】
「直くん、心配性だからねぇ」

【直樹】
「なのに、こんな事になるなんて……。これじゃあ、不安が倍増しただけじゃないか」

【直樹】
「俺は……。俺はただ、鐘の音が聞きたかっただけだというのに……」

【直樹】
「あぁっ! 誰か、俺に鐘の音を聞かせてくれ!」

【すみれ】
「あ。じゃあ、はいっ」

【直樹】
「な、なにっ!? 鳴った!?」

【すみれ】
「うん。鳴らしてみたよ」

【すみれ】
「最近の携帯電話って、便利だねぇ」

【すみれ】
「ちょっとインターネットで検索してみたらね、簡単に鐘の音が聞けたよ」

【直樹】
「っ、そうじゃない!」

【直樹】
「俺が聞きたいのは、この腕輪からの鐘の音なんだ! そうじゃなきゃ、意味がないんだ……」

【すみれ】
「……直くん、そんなに不安なの?」

【直樹】
「不安に決まってる!」

【直樹】
「結婚式でもこれが鳴らなかったら、俺は死ぬぞ!」

【直樹】
「すみれだって死ぬんだぞ!? わかってるよな!?」

【すみれ】
「うん。だいじょうぶ、だいじょうぶ。ちゃんとわかってるよ」

【直樹】
「じゃあ……もしかして、他人事だと思っているのか?」

【直樹】
「自分だけは大丈夫だと、そんな奇跡が起きるとでも思っているのか……?」

【すみれ】
「都合のいい奇跡が起きるなんて、思ってないよ」

【すみれ】
「わたしたちなら奇跡を起こせる、って思ってるんだよ」

【直樹】
「また、そんな適当な事を言って……」

平気平気。などとのんびり笑うすみれに、俺は脱力する。

頭を抱えてうずくまった瞬間、思い浮かんだのは俺の家族と、すみれの家族の顔だった。

【直樹】
「目を閉じると、母さんたちの絶望する顔が浮かぶようだ……」

【すみれ】
「うーん……。……走馬灯?」

【直樹】
「違うっ! まだ俺は死なないっ!」

……いや、死ぬかもしれないのか。

いやいや。死ぬ可能性の方が高いのか。そうか。そうだよな。

思わず「まだ」なんて言ってしまった時点で、俺はもう死ぬのが確定しているのかもしれない。

……駄目だ。どんどん怖くなってきた。

さしあたっては、やっぱり母さん達の反応が一番怖い。

【直樹】
「この鳴らない腕輪の事を母さんたちが知ったら、どう思うだろう……」

【すみれ】
「うーん……。『綺麗な腕輪だねぇ』って思うんじゃないかな」

【直樹】
「それは、すみれの感想だろ!」

【すみれ】
「すごいね、直くん。わたしの考えている事がよくわかったねぇ」

【直樹】
「……あのなぁ、すみれ」

【直樹】
「俺の母さんなんて、今朝はずっとお前のためのドレスを眺めていたんだぞ」

【直樹】
「『披露宴でこれを着たすみれちゃん、早く見たいわ』なんてうっとりしてさ……」

【すみれ】
「わぁ。それは、嬉しいなぁ」

【直樹】
「父さんは父さんで、『この日を18年待って良かった』なんて涙ぐんでいてさぁ……」

【すみれ】
「うんうん。長かったねぇ」

【すみれ】
「わたしのお母さんとお父さんもね。直くんのところと同じように、待ってたよ」

【直樹】
「……そうだろ。長かったんだ」

【直樹】
「俺にはわからないが、母さんたちにとっては長い時間だったはずなんだ」

『――お宅の娘さんと、我が家の息子を結婚させませんか?』

俺の母さんがそう言ったのは、今から、約18年前の事だったらしい。

家が近所で、出産予定日も近かった俺の母さんとすみれの母さんは、産婦人科で意気投合した。

そうして、それぞれの子供の将来を危ぶんだ――結婚相手を見つけられず、殺されてしまうのではないか――と思った2人は、俺たちを結婚させる事にしたという。

その話は幼い頃から何度も言い聞かされてきたから、よくわかっている。

俺自身、すみれになんの不満もなかったから、むしろこの話は運が良かったとさえ思っていた。

他のみんなが怖がりつつ結婚相手を探す中、俺はこんなにも安心していられるんだ、と。

……なのに。

それなのに、これだ。

【直樹】
「鐘が鳴らないなんて、聞いてない……っ!」

【すみれ】
「そうだねぇ。わたしも、知らなかったよ」

【すみれ】
「こんな事があるんだねぇ」

【直樹】
「これは、どうする!? なぁ、どうすればいい!?」

【直樹】
「母さんは絶望する! 父さんも絶望する! すみれの家族も絶望する! 俺も絶望する!」

【直樹】
「ああ! だめだ! もうだめだ!」

これまで「すみれと結婚できるから」と思っていたその安心感が、全部、恐怖となって俺を襲ってくる。

【直樹】
「俺は死ぬんだ! 殺されるんだ! クズだからって、えげつない殺し方をされるんだ!」

【直樹】
「そ、そんな事になるぐらいなら……。いっそ、今この腕輪を首にはめて死んでしまった方が……!」

【すみれ】
「直くん。おちついて、おちついて」

【直樹】
「黙ってくれ!」

【直樹】
「落ち着きすぎているすみれに、この俺の気持ちがわかるもんか!」

【すみれ】
「だいじょうぶ。ちゃんと、わかってるよ」

【すみれ】
「つまり、直くんは……」

【すみれ】
「今、マリッジブルーって事だよね」

【直樹】
「……」

【直樹】
「いや、たしかに結婚式は不安だが……」

なんか違う気がする。

【直樹】
「それはさっきまでの話で、今は式よりも自分の命に不安が……」

【すみれ】
「平気、平気」

【すみれ】
「直くんが不安だっていうなら、わたしがそんなもの吹き飛ばしてあげる」

【すみれ】
「ちゃんと、結婚できるようにしてみせるよ」

【直樹】
「ほ、本当か……?」

【すみれ】
「うん。わたし、直くんの彼女だもん」

【すみれ】
「直くんは、わたしがちゃんと守ってあげるね」

;▲黒

そうして落ち着いた話した結果、まずは、結婚腕輪についての資料を集める事になった。

けれど――。

;▲

パン、とすみれが手を打った。

【すみれ】
「と、いう事で……」

【すみれ】
「はい。こちら、テニス部の後輩の菊ちゃん」

【雛菊】
「……雛菊よ。よろしく」

【直樹】
「あ。よ、よろしく頼む」

俺はとりあえず頭を下げるが、こいつは一体誰なんだ。

テニス部の後輩というのはわかった。だが、怪しい。

本当にテニス部の人間か? 後輩か? すみれが騙されているんじゃないのか?

こいつはいかにも、ツボでも売りつけてくる――いや、投げつけてきそうな顔をしている。と思う。

というより、そもそも俺はなぜ、よくわからない子を紹介されているんだろう。

ついさっきまで、俺とすみれそれぞれ分担して結婚腕輪についての本を調べていたはずだ。

そんな時に呼ばれたからには、きっと何か良い本でも見つかったのかと思ったが……目の前にいるこの子は、どう見ても本には見えない。

不審に思ってじろじろ見ていれば、もう一度、すみれは手を叩いた。

【すみれ】
「あのね、直くん。菊ちゃんは、話を聞いてきてくれたの」

【すみれ】
「わたしたちの指導をしてくれるって言ってくれたんだよ」

【すみれ】
「つまり、鐘を鳴らすための先生だよ」

【直樹】
「……うーむ」

【雛菊】
「あの、先輩。この人妙にじろじろ見てくるんですが」

【すみれ】
「ごめんねぇ。直くん、すっごく警戒心が高いから。初めて会う人だといつもこうなんだよ」

【すみれ】
「ほら、直くん。菊ちゃんは怖くないよ。笑顔笑顔」

【直樹】
「そう言われてもなぁ……」

はっきり言って、すみれの言う「怖くない」は信用できない。

これまでその言葉に騙されて、何度痛い目にあった事か。

すみれた「怖くない」と言った犬は噛み付いてきたし、「怖くない」はずの人はヤクザだったし、「怖くない」はずのこの国には怖い制度があった。

だから、こいつにも何か裏がありそうだ。嘘吐きのように見えるんだが……。

【直樹】
「むむむ……」

【雛菊】
「……すみれ先輩。あの。これが、その、本当に、先輩の……?」

【すみれ】
「うん。わたしの、彼氏だよ」

【雛菊】
「そうですか。ハァ……」

【直樹】
「な、なんだそのため息はっ!? 毒でも吹き付ける気か!?」

俺は、怪しい動きをした彼女から距離をとって構える。

すると、彼女の口からは再びため息が漏れた。

【雛菊】
「……あのねぇ。アンタ、そんなビクビクしていて恥ずかしくないの?」

【直樹】
「なにっ!?」

【雛菊】
「そもそもアンタ、すみれ先輩に泣きついたらしいじゃない」

【雛菊】
「少し鐘が鳴らなかったくらいでピーピー騒ぐなんて、彼氏としてなさけないと思わなかったのかしら?」

【直樹】
「ぐっ……」

【雛菊】
「聞けば、普段からあれが危険だそれが危険だ、って逃げてばかりいるらしいじゃない」

【雛菊】
「弱すぎるわよ、アンタ」

【直樹】
「ぐぅ……っ」

【雛菊】
「男なら、もっと強くなりなさいよ」

【直樹】
「ぐぅぅっ……」

【すみれ】
「ちょっとちょっと、菊ちゃん。あんまり直くんを苛めないでほしいなぁ」

【すみれ】
「たしかに、直くんはちょっとなさけないところもあるよ」

【直樹】
「うっ」

【すみれ】
「怯える事も多くって、弱いところもあって、他にも色々、だめだなぁって思うところもあるんだけどね」

【すみれ】
「それと同じくらい、いいところもあるんだよ」

【雛菊】
「たとえば、どこですか」

【すみれ】
「……うーん」

【すみれ】
「たくさん怯えて、ビクビクしているところ、かなぁ」

【雛菊】
「……やっぱり駄目って事じゃないの」

【直樹】
「うぅっ……」

だめだ。すみれと雛菊さんの言葉で胸が痛い。

これでは、距離をとった意味がない。

遠距離でも毒を飛ばしてくるとは、やはり雛菊さんは油断ならない相手だ。

【直樹】
「さ、さっきから好き勝手言ってるけど、そういうお前はなんなんだ!」

【直樹】
「先生としてここに来たらしいが、お前に何ができるっていうんだ!?」

【雛菊】
「聞いてなかったの? 私がじきじきに指導してあげる、って言ったでしょう」

【直樹】
「……けど、そもそもお前は指導できるような知識があるのか?」

すみれの後輩なら、16歳か17歳だろう。

結婚指輪をつけていない事からすると、未婚者である可能性は高い。

そんな事で、本当に、鐘を鳴らす指導なんてできるんだろうか。

【雛菊】
「バカにしないで! 私は、アンタよりもよっぽどその腕輪について詳しいわ」

【すみれ】
「そうだよ、直くん。菊ちゃんが詳しいって言ってるんだから、詳しいんだよ。きっと」

【直樹】
「だったら……。なぁ、雛菊さん」

【直樹】
「この腕輪をつけて、キスしてくれないか?」

そう言いながら俺が腕輪を差し出すと、今度は雛菊さんが距離をとった。

【雛菊】
「キッ……!?」

【雛菊】
「ア、アアア、アンタ! バカじゃないの!?」

【雛菊】
「彼女の前で浮気宣言とか、何考えてるのよ!?」

【直樹】
「何って、生きる事だ! 生きるためにキスが見たい!」

【直樹】
「それに勘違いはよしてくれ。雛菊さんには、すみれとキスしてほしいんだ!」

【雛菊】
「はぁ?」

【直樹】
「雛菊さんとすみれがキスして鐘の音が鳴ったら、何かわかるかもしれない」

【雛菊】
「ああ、そういう事ね」

【直樹】
「俺は、それをお手本にしよう!」

【雛菊】
「なるほど。お手本ね。お手本……」

【雛菊】
「……」

【雛菊】
「やっぱりアンタ、バカじゃないの!?」

【雛菊】
「どこの世界に、彼女とその女友達をキスさせて、お手本にしようっていう彼氏がいるのよ!」

【直樹】
「どこって……ここだが?」

【すみれ】
「うんうん。ここにいるみたいだよ」

【雛菊】
「開き直らないでちょうだい!」

【直樹】
「……くっ。俺はただ、事実を言っただけだというのに……」

【すみれ】
「きっと、もっと具体的に言わなきゃだめだったんだねぇ」

【直樹】
「具体的?」

【すみれ】
「『ここ』じゃなくて『この学園にいます』って言ったら良かったんだよ」

【直樹】
「ああ、そうか。さすがだな、すみれ」

【雛菊】
「なんなの、この会話は……」

【雛菊】
「というより、先輩!」

【すみれ】
「はーい?」

【雛菊】
「貴方は、彼氏のこんな発言にのんびりしていていいんですか!?」

【雛菊】
「この人、いきなり、私たちにキスしろって言ってるんですよ!?」

【すみれ】
「うーん。……びっくりしちゃった」

【雛菊】
「ですよね!」

【すみれ】
「直ちゃんは面白いこと言うねぇ。発想力があるよ。すごいすごい」

【雛菊】
「……他に、感想はないんですか」

【すみれ】
「うーん。……ちょっと、胸が苦しいかなぁ」

【雛菊】
「そうでしょう!?」

【すみれ】
「菊ちゃんって可愛くて人気者だから、わたしが軽い気持ちでキスしちゃったら、他の男の子に悪いよねぇ」

【雛菊】
「そういう問題じゃないです……」

【すみれ】
「えっと……じゃあ、どういう問題なのかなぁ?」

【雛菊】
「……もういいです。とにかく、私は先輩とキスなんてしません!」

【すみれ】
「んー。じゃあ、ハグする?」

【雛菊】
「それもしません!」

【直樹】
「……なんだ、しないのか」

【雛菊】
「なんでそこは悲しそうなのよ!」

【直樹】
「いや、ハグでも鳴るかもしれないと思うと……」

【雛菊】
「鳴らないわよ!」

雛菊さんが一際大きな声で叫ぶ。

ぜぇはぁと肩で息をする彼女の背中を、すみれがさすった。

【すみれ】
「菊ちゃん。落ち着いて、落ち着いて。はい、深呼吸だよ」

【雛菊】
「……はい」

雛菊さんは、すみれに言われるがままに深呼吸を繰り返す。

そうして落ち着くと、眉を吊り上げた。

【雛菊】
「いい? おそらく、2人には愛が足りないから、鐘の音が鳴らないのよ」

【直樹】
「愛が、足りない……?」

【雛菊】
「この腕輪は、何か特別な力で愛情を計測するらしい、っていうのが通説なんだから。きっとそうよ」

【雛菊】
「2人には愛が足りないんだわ。もっと足しなさい」

【直樹】
「足すと言われても……どうやって?」

【雛菊】
「とりあえず、愛を伝え合ってみたらどうかしら」

【すみれ】
「うーん。じゃあ、言ってみるね」

【すみれ】
「直くん、愛してるよ」

【直樹】
「うん。おれも、愛してるぞ」

【直樹】
「……これでいいのか?」

【雛菊】
「……もっと、どこが好きとか、具体的に言ってみてちょうだい」

【すみれ】
「そうだねぇ。わたしは、直くんの優しいところが好きかなぁ」

【直樹】
「おれは、すみれの笑顔が好きだな」

【直樹】
「……これでどうだ?」

【雛菊】
「ううん。……何か、ピンとこないのよね」

【雛菊】
「この感覚は何かしら……?」

【すみれ】
「何かなぁ?」

【直樹】
「なんだろうなぁ?」

考え込んでしまった雛菊さんを、おれたちは2人でじっと見つめる。

すると、そんなおれたちを雛菊さんが見つめ返し、目を瞬かせた。

【雛菊】
「……そうよ。これよ!」

【直樹】・すみれ
「「これって?」」

【雛菊】
「2人は自然すぎるのよ! ときめきが足りないんだわ!」

【直樹】
「ときめきか……」

【すみれ】
「ときめき……?」

【雛菊】
「初々しさと言ってもいいわ。それが、2人の間にはないのよ」

【雛菊】
「結婚してないのに、もう夫婦みたいな安心感が漂っているんだわ!」

【直樹】
「夫婦みたいな……」

【すみれ】
「安心感?」

【雛菊】
「そう。さっき、愛を伝え合った時、2人ともまったく照れなかったでしょう?」

【直樹】
「うーむ。……それの何がおかしいんだ?」

【雛菊】
「別に、おかしいと断言するわけじゃないけど……大抵は、もっと恥ずかしがっておずおず言うものなのよ」

【すみれ】
「たとえば、どんな風に?」

【雛菊】
「たとえばって……こう、顔が赤くなったり、目をそらしたりとか……」

【すみれ】
「そっかぁ。菊ちゃんは、そんな風に恥ずかしがっちゃうんだねぇ」

【すみれ】
「可愛いねぇ」

【直樹】
「そうか。それはたしかに、可愛いな」

【雛菊】
「っ……。わ、私の事はどうでもいいでしょう!」

【雛菊】
「とにかく。この腕輪は、心拍数とかを測って鐘の音を鳴らすのかもしれないわ」

【雛菊】
「だからもっとときめいて、お互いにドキドキするべきなのよ!」

【直樹】
「ドキドキって言われても……」

【すみれ】
「難しいねぇ」

【直樹】
「ああ。難しい話だ」

【直樹】
「俺たちは6歳の頃から今まで、ずっと一緒だったんだぞ。今更、何にドキドキすればいいんだ?」

【雛菊】
「それは、だから……手を繋ぐ、とか」

【すみれ】
「歩く時は、いつもつないでるよねぇ?」

【直樹】
「ああ。むしろ、繋いでいない時の方が違和感あるよな」

【すみれ】
「うんうん」

片手が自由な時は、落ち着かない気分になってそわそわする。

けれど、それをときめきとは言わないような気がする。

【雛菊】
「だったら……抱きしめる、とか」

【すみれ】
「毎朝、出会ったらしてるよねぇ」

【直樹】
「今朝はすみれの番だったな」

【雛菊】
「すみれ先輩の番……? 抱きしめるのに、順番があるの?」

【すみれ】
「うん。今朝はわたしが抱きしめたから、明日は直くんが抱きしめてくれるんだよね」

【直樹】
「ああ。そうやって、毎日、抱きしめる方を交代しているんだ」

【雛菊】
「……」

【雛菊】
「じゃあ、あとは……キ、キキ、キ、キス、とか」

【すみれ】
「キスも、毎朝してるよ?」

【直樹】
「抱きしめるのとセットだよな」

【雛菊】
「……な、なんなのよアンタたち! 思いっきりバカップルじゃないの!」

【すみれ】
「うーん。これぐらいなら、普通じゃないのかなぁ?」

【すみれ】
「人前では、あんまりしないよ?」

【直樹】
「そうそう。幼馴染なんてこんなもんじゃないか」

【雛菊】
「幼馴染をバカにしないでちょうだい!」

【雛菊】
「いい? 幼馴染だから、なんて言い訳にならないわ」

【雛菊】
「たとえ何年一緒にいる相手だろうと、ドキドキする時はドキドキするの」

【雛菊】
「……考えるだけで胸が苦しくなったり、切なくなったりするものなのよ」

【直樹】
「うーむ。そう言われてもなぁ」

実際、すみれの事を考えてもそんな感覚にはならない。

ときめきもない。苦しさも切なさもない。あるとすれば、安心感ぐらいなものだ。

すみれはどうかと思って目を向けてみれば、彼女はただ微笑む。……うん。やっぱり安心する。

【雛菊】
「ちょっとそこ! 何をまた、にへらっとしてるのよ!」

【直樹】
「にへら、って……」

【すみれ】
「ごめんね。つい、直くんの顔見たら表情緩んじゃった」

【雛菊】
「すみれ先輩はいつもとたいして変わらないので、別にいいです」

【雛菊】
「私が言ってるのは、そこのなさけない彼氏! アンタよ!」

【雛菊】
「呆けてる暇なんてないのよ。2人にときめきが足りない事は確定したんだから、ここから特訓よ!」

【直樹】
「と、特訓……?」

【雛菊】
「そう。2人はお互いに慣れすぎているから、ときめきがない」

だから、と雛菊さんは拳を握る。

【雛菊】
「もっとときめくような、特別な行動をとればいいのよ!」

そうして固くにぎった拳を振り上げた雛菊さんの目は、らんらんと輝いていた。

;▲

――そして、その輝きはものの数十分で消え去った。

【雛菊】
「あ、ありえないわ……。こんなに、私が手をつくしたというのに……」

【雛菊】
「どうして、鐘の音が鳴らないのよ……」

雛菊さんの目は、今や遠くを見ていた。

そうして低い声を出してワナワナと震える彼女の背中を、すみれが優しく撫でる。

【すみれ】
「うん、うん。いろいろ考えてくれて、ありがとうね」

【すみれ】
「なのに、うまくできなくてごめんね」

【雛菊】
「すみれ先輩……っ!」

【雛菊】
「違うわ。先輩は何も悪くないです」

【雛菊】
「悪いのは……そう。きっと、アンタがいけないのよ!」

【直樹】
「お、俺ぇ?」

【雛菊】
「だって。さっきまでアンタ、私を見てビクビクしていたじゃないの!」

【雛菊】
「それなのに、なんでよ!? なんで、ポッキーゲームをしたら平然とキスまでいってるのよ!」

【直樹】
「なんでと言われても……両端からくわえて食べていったら、自然にお互いの唇は近づくよな?」

【すみれ】
「うんうん」

【直樹】
「最後には、くっつくよな?」

【すみれ】
「そうだねぇ」

【雛菊】
「だから、その近付いていく過程で戸惑いなさいよ!」

【直樹】
「戸惑いはあったぞ」

【直樹】
「お互いに、丁度半分ずつ食べる事ができるのかという不安があった」

【直樹】
「俺だけ多く食べたら、すみれに悪いからな」

【すみれ】
「うんうん。難しかったねぇ」

【雛菊】
「そういうゲームじゃないわ!」

【すみれ】
「ポッキー、美味しかったよ」

【直樹】
「ああ、そうだな。言い忘れてた。わざわざ買ってきてくれてありがとう」

最初は毒でも入っているのかと疑ったが、それも良い思い出になった。

そう俺がうなずいていると、雛菊さんは不満げな目を向けてくる。

【雛菊】
「……お姫様だっこも、どうして平気な顔してできるのよ?」

【直樹】
「そりゃ、慣れてるからだ」

【直樹】
「すみれは小さい頃、よく足をくじいたり骨を折ったりしたからなぁ」

【すみれ】
「うんうん。その度に、お姫様だっこをしてくれたよねぇ」

【雛菊】
「なんでだっこなの!? おんぶでも良いじゃないの!」

【直樹】
「そりゃ、お姫様だっこならすみれの顔が見えるからなぁ」

【直樹】
「表情見てれば、痛がっていないかがよくわかるだろ」

【雛菊】
「そ、それはそうかもしれないけど……」

【雛菊】
「じゃあ、間接キスはどうなのよ!」

【雛菊】
「ただのキスとは違うのよ。間接的だからこそ、甘酸っぱい想いが胸に広がるものでしょう!?」

【直樹】
「直接も間接も、たいして変わらないだろ」

さっき、言われた通りに試してみたが、まるで感じる事はなかった。

【雛菊】
「……っ、わかってるの!? ときめかないと、死ぬのよ!?」

【直樹】
「それはわかってるんだけどなぁ……」

鳴らさないといけない、という焦りはある。

だが、だからといって言われるがままにときめく事ができるかといえば話は別だ。

そもそも、ときめけば鐘を鳴らせるという事もまだ未確定なわけだし。

【雛菊】
「今おこなったのは、命懸けのポッキーゲームよ!? 命懸けのお姫様だっこに、命懸けの間接キスだったのよ!?」

【雛菊】
「それなのにっ。それなのに……っ」

【雛菊】
「……」

【雛菊】
「……私だったら。絶対に、ときめくのに……」

【すみれ】
「そっかぁ。菊ちゃんは初心で可愛いねぇ」

【雛菊】
「きゃっ! せ、先輩、やめてください……」

うつむきがちになった雛菊さんの頭を、すみれがわしゃわしゃと撫でる。

その手から慌てて逃れた雛菊さんは、また強気な目で俺を見た。

【雛菊】
「ちょっと、そこで待っていなさい」

【雛菊】
「絶対。絶対に、ときめくような出来事を考えてみせるんだから!」

そうして、彼女は宣言通りに考えはじめたらしい。

うんうんとうなる彼女から少し離れて、俺はすみれに顔を向ける。

【直樹】
「なぁ、すみれ。雛菊さんの行動はありがたいんだが、あまり効果があるとは思えないぞ」

【直樹】
「これなら、腕輪についての資料探しを続けた方がいいんじゃないか……?」

【すみれ】
「うーん……」

【すみれ】
「……ごめんね、直くん。わたしとしては、もうちょっと、菊ちゃんからの指導を受けてもらいたいんだ」

【すみれ】
「だめ、かなぁ?」

すみれが困ったように俺を見上げた。

普段は微笑んでばかりいる彼女が、こういう表情をみせるのは珍しい。

【直樹】
「何か、雛菊さんを関わらせたい理由でもあるのか?」

【すみれ】
「……うん。菊ちゃんはすごく不安がっているから、安心させたいんだよ」

【直樹】
「不安がっている? ……あれはただ、指導に燃えているように見えるけどなぁ」

【すみれ】
「うーん。普段だったら、わたしもそう思ったんだけどね」

【すみれ】
「……菊ちゃんにとって、結婚の儀式ってとっても特別みたいなんだよ」

【直樹】
「特別。……そりゃ、命がかかってるんだから特別だろうな」

【すみれ】
「それだけじゃなくって。……わたしは詳しく知らないんだけど、2年ぐらい前に、結婚の事でいろいろあったみたいなんだよ」

【すみれ】
「それで、腕輪の鐘の音に関して思うところがあるみたい」

【直樹】
「なるほどねぇ……」

そう言われてみれば、雛菊さんは必死すぎる。

わざわざ俺たちを待たせてポッキーを買いに行ったり、今も百面相をしながら悩み続けていたり。

当人の俺たちよりも熱烈にあれこれ喋っていたから、逆に俺の方が落ち着いてしまったぐらいだ。

【すみれ】
「『私が指導する』って言った時の菊ちゃん、本当に不安そうで、とっても心配してくれているのが伝わってきたんだよ」

【すみれ】
「鳴るの? 鳴るの? って不安そうにしていたから、ちょっとでも安心してもらいたくって直くんを呼んだんだけど……」

【すみれ】
「失敗しちゃった、かなぁ。……直くんと会えば、『あぁ大丈夫』って思ってもらえるはずだったんだけどなぁ」

【直樹】
「う……。それは、俺が頼りないから、だよな……。ごめん」

【すみれ】
「ううん。わたしが、直くんの魅力を伝えきれないだけだよ」

【すみれ】
「そもそも、菊ちゃんに鐘の音が鳴らないってバレちゃったのも、わたしがうっかり腕輪をつけたままだったからねぇ」

【直樹】
「え……? お前、つけたままで本探してたのか?」

たしかに、俺は勝手に腕輪をはずしただけで、すみれがどうしたかは見ていなかったが……。

鎖のついた腕輪を片方だけ嵌めてジャラジャラと揺らしていたら、雛菊さんだって気付いて当然だ。

【すみれ】
「うん。みんな、どうしてわたしの方を見ているんだろうって不思議だったんだよ」

【すみれ】
「ご飯粒でもついていたかなぁって思ったら、鎖だったなんてビックリだよねぇ」

【直樹】
「そりゃあ、びっくりしただろうな……」

呆れて溜め息を吐けば、すみれは不意に手を叩いた。

パン、という軽い音につられて瞬きする俺に、彼女は相変わらず微笑む。

【すみれ】
「直くん。良い事を思いついたよ」

【すみれ】
「菊ちゃんと直くんで、図書館に戻って資料を探せばいいんだよ」

【直樹】
「……どうしてそれが、良い事なんだ?」

【すみれ】
「直くんは、資料を探したい。わたしは、菊ちゃんに直くんの魅力を知って安心してほしい」

【すみれ】
「それを両方満たす、ぴったりな方法だと思うんだよ」

【直樹】
「いや、資料探しの方はわかるけど。俺の魅力を知ってもらうってのは、どうやってやるんだ!?」

【すみれ】
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。直くんなら、一緒にいるだけで魅力が伝わるはずだよ」

【すみれ】
「じゃあ、そういう風に話してくるねぇ」

【直樹】
「あ。お、おい……」

【直樹】
「本当にそれで……いいのか?」

まぁ、こんなところでときめくための何かを続けるよりは、よほど建設的なんだろうが。

鐘の音も鳴らないっていうのに、俺の魅力を伝えて安心させるなんて、どうすればいいんだ……?

;▲図書館

【雛菊】
「……」

不安を抱えたまま、図書館に来た。

すみれも一応ついてきてくれたが、少し離れた区画で資料を探す事にしたらしい。

そうして俺たちは2人で取り残されたわけだが、さっきから一向に会話がない。

まぁ、資料を読むのが主な目的なわけだから、無言でもいいはずなんだが。

すみれから『自分の魅力を伝える』という指令を受けた以上、何もしないというのは落ち着かない。

とりあえず、と。本をめくりながら話しかけてみる。

【直樹】
「なぁ、雛菊さん」

【雛菊】
「……なによ?」

……睨まれた。けっこう怖い。

だが、気を取り直して。

【直樹】
「えぇっと、その……何か見つかったか?」

【雛菊】
「見つかったら言ってるわよ」

【直樹】
「……だよなぁ」

うん。さすがに早すぎたか。

溜め息をこぼし、改めて彼女に向き直る。

【直樹】
「じゃあ、えっと……訊きたいんだが」

【直樹】
「テニス部でのすみれは、どんな感じなんだ?」

【雛菊】
「……そんな事わざわざ聞かなくたって、アンタなら、すみれ先輩の事よくわかってるんじゃないの?」

【雛菊】
「今更ときめかないくらい、一緒にいるんでしょ」

【直樹】
「いや、まぁそうなんだが……」

【雛菊】
「無駄な事話してないで、鐘を鳴らす方法を探しなさいよ」

言葉にトゲがある。よほど、ときめきに欠けた俺たちが不満なのか。

唇を尖らせた彼女に少し腹がたつ。

けれど、真剣に本へ目を向けるその姿を思えば、すぐにその感情は消えた。

【直樹】
「雛菊さんが真面目に解決法を探してくれているように、俺だって、ただの興味本位で訊いたわけじゃないんだ」

【雛菊】
「へぇ?」

【直樹】
「本当にお前の言う通り、ときめきが足りなくて鐘が鳴らないっていうならさ」

【直樹】
「すみれの新たな一面を知れば、鐘が鳴るのかと思ったんだ」

【雛菊】
「幼馴染の知らなかった部分を知って、ときめく、と?」

【直樹】
「そうそう」

【雛菊】
「……一理あるわね」

【雛菊】
「私もそういう経験があるから、わかるわ」

【直樹】
「いい考えだろ?」

【雛菊】
「まぁ、そういう事なら話してあげるけれど……」

【雛菊】
「……ねぇ。今から言う話は、すみれ先輩には秘密よ?」

【直樹】
「ああ、わかった」

うなずく俺に、彼女は少し戸惑う素振りをみせたあと、ゆっくりと口を開いた。

【雛菊】
「……私から見た先輩は、『その他大勢の先輩』だったわ」

【直樹】
「その他大勢って……辛辣だなぁ」

【雛菊】
「仕方ないでしょ。テニス部って、人が多いんだから」

【雛菊】
「それなりに話す先輩ではあったけれど、特別に親しいという方ではなかったわ」

【雛菊】
「おっとりしていて親切で、話しやすい先輩。そんな認識でしかなかった」

【雛菊】
「ただ……2年前に、その認識がかわったの」

【直樹】
「2年前、か」

すみれに聞いた、結婚がどうのという話か。そう思いつつ、俺はまたうなずく。

【雛菊】
「私は当時、結婚式でちょっとした騒ぎを起こしたのよ」

【雛菊】
「その件で誤解……いえ、誤解というわけでもないのだけれど。……まぁ、いろいろあって」

【雛菊】
「少し、周りから距離をおかれていたのよね」

【雛菊】
「部活中も、みんな私の事を好き勝手言っていたわ」

【直樹】
「悪口か?」

【雛菊】
「それほどのものではないわ。ただの噂話。……でも、他の人と話しにくかったのは事実よ」

【雛菊】
「そんな時に、いつも通りに話しかけてくれたのがすみれ先輩だった」

【直樹】
「あぁ。すみれらしいなぁ」

あいつは昔からそうだ。

俺とは違って物怖じせず、にこにこしながら他人に話しかけていく。

そのせいで、誘拐まがいの事も数回あったが……まぁ、近頃は以前よりマシになったから、立派な長所といえるだろう。

【雛菊】
「別に、特別な事をされたわけじゃないのよ。心に残る言葉をかけてもらったわけでも、衝撃的な出来事があったわけでもない」

【雛菊】
「ただ、先輩は、ふとした瞬間に傍にいてくれたのよ」

【雛菊】
「部活が終わったら『疲れたねぇ』って笑ってくれて、授業の合間には『迷っちゃったんだ』と言って私の教室に来た」

【雛菊】
「下校していたら『一緒に帰ろう』って手を握ってきて、1人でお弁当を食べていたら『これあげるよ』と言って駄菓子を渡してきた」

【雛菊】
「そんな些細な事ばかりだったけれど……それが、当時の私には嬉しかったわ」

【直樹】
「そうか。うん。わかるぞ」

すみれがいると、安心する。それは俺もよく思う事だ。

今だって、すみれの話をしただけでこの場の雰囲気がよくなったように思う。

【直樹】
「すみれの笑顔って、癒されるよなぁ」

【雛菊】
「アンタって……」

【直樹】
「ん? なんだ」

【雛菊】
「……すみれ先輩の事、好きなのね」

【直樹】
「そりゃ、そうじゃなきゃ恋人じゃないだろ」

何を当たり前の事を言っているんだろう。

不審に思って見れば、雛菊さんは目を丸くする。

【雛菊】
「……そう。そんなに堂々と、相手の事を恋人だって言えるものなのね」

【雛菊】
「……それが、普通なのね」

【直樹】
「雛菊さん?」

【雛菊】
「……」

【雛菊】
「ねぇ。昔から結婚が決まっていた幼馴染って、どんな感じなの?」

【直樹】
「どんな、って言われても……」

【雛菊】
「生まれてから、親公認でずっと一緒にいたのかしら?」

【直樹】
「あー……いや。途中からはそうだが、6歳までは違ったなぁ」

【直樹】
「家は近くだったんだが、すみれとは1回も会わないようにされてたらしい」

【雛菊】
「会わないように……? どうして?」

【直樹】
「生まれた時からずっと一緒にいすぎると、完全に兄妹になっちゃうんじゃないかって危ぶんだみたいなんだよ」

【直樹】
「だから、それまでは『すみれ』っていう子は話に聞くだけの子で、実際に顔を合わせたのは6歳の時だった」

【直樹】
「当時の俺は……いや、まぁ今もなんだが……結婚制度が怖くて怖くてたまらなかった」

【直樹】
「小さい頃からずっとその話を聞かされて、とにかく殺されたくないと思った。毎日結婚の事ばかり考えていた」

【直樹】
「結婚相手の、『すみれ』の事ばかり考えつづけた」

目をつぶれば、すぐに思い出す事ができる。

6歳になった年の春。すみれは、公園で遊んでいた。

;▲公園 回想

お母さんが、いろいろ声をかけてくる。でも、いまいち頭に入ってこない。

【直樹】
「うぅ……」

俺の心臓はバクバクと鳴っている。

こわい。こわい。こわい。

だって今、目の前にいるのはあの『すみれちゃん』だ。

これまで、お父さんやお母さんから何度もこの子の話を聞いた。

優しい子だとか。可愛い子だとか。そんな情報をいろいろ教えられたけれど、俺はそんなのどうでもいい。

この子が、本当に俺と結婚してくれるのか。それだけが気がかりだ。

この子は、俺が死なないために結婚してくれるらしい。でも、そんなに都合のいい話があるのか。

もしかして、この子はまるでそんな気がなくって、俺をだまそうとしているんじゃないか。

そう思ってちらりと見てみると、

【すみれ】
「はじめまして」

【直樹】
「……っ」

微笑まれた。

ほんわり、と。柔らかなその笑顔に、警戒心が増す。

だめだ。だめだこれ。絶対騙そうとしている。

だって、トランプのジョーカーがこんな感じだ。

笑っているくせに強い。きっと、この子もそうに違いない。

【すみれ】
「わたしは、すみれだよ」

【直樹】
「し、知ってるぞ!」

だから俺は騙されたりしない。そう示したつもりなのに、この子はますます笑みを深くする。

【すみれ】
「そっかぁ。知っていてくれたんだね。ありがとう」

【すみれ】
「それで、君の名前は?」

【直樹】
「……お、教えない」

【すみれ】
「あれぇ? ……なんで?」

【直樹】
「だって、お、俺の名前をつかって、何かする気なんだろ!」

【すみれ】
「名前を知ると、何かができるの?」

【直樹】
「わ、わかんないけど、多分、なんか悪いことができる! ……気がする」

【すみれ】
「じゃあ、わたしの名前を知った君は、わたしに何かするの?」

【直樹】
「いや……何も、しない」

【すみれ】
「だったら、わたしも何にもできないよ」

【すみれ】
「なにもしないから、名前を教えてほしいなぁ」

ことりと小首をかしげながら、見つめられる。

その視線に戸惑っていると、お母さんから背中をつつかれた。

だから、俺は仕方なく声を出す。

【直樹】
「……直樹」

【すみれ】
「わぁ。直樹くんだね。よろしくね!」

【すみれ】
「じゃあ、次はあくしゅしようよ」

【直樹】
「い、いやだ!」

【すみれ】
「……うーん。君は、怖がりさん?」

【直樹】
「う……っ。だ、だったらなんだ!」

じっと見てくる視線が怖くて、顔をそむける。

こういう反応は嫌いだ。

みんな、俺を見て弱いとか怖がりすぎだって馬鹿にする。

だから、この子もきっと……。

【すみれ】
「そっかぁ。嬉しいなぁ」

【直樹】
「え……?」

……嬉しい?

【すみれ】
「あのね。わたし、ぼけーっとしすぎだって、よく言われるんだよ」

【すみれ】
「あんまり驚いたり、こわがったりしないから、逆に心配だって言われるんだ」

【すみれ】
「だから、君が怖がりで嬉しいよ」

【直樹】
「怖がりな俺が、嬉しい……? 面倒くさい、とかじゃなくて……?」

【すみれ】
「うん」

【すみれ】
「だって、君がわたしの分まで怖がってくれるんだよね」

【すみれ】
「だから、わたしと直くんがいっしょにいればピッタリだと思うよ」

【直樹】
「ピッタリ……」

【すみれ】
「うんうん」

満足そうにうなずくその子は、やっぱり笑顔だ。

でも、もう、その顔は怖くない。本人が言う通り、ただぼけーっとしているだけの顔に見える。

【直樹】
「……って、あれ? なお、くん?」

【すみれ】
「うん。直樹くんだと長いから、直くん!」

【すみれ】
「結婚っていうのをすると、ずっといっしょなんだって」

【すみれ】
「だから、ずっと呼びやすいような言い方を考えたんだよ」

【直樹】
「ずっと、いっしょ……」

【すみれ】
「うん。そうだよ、直くん」

【すみれ】
「だから、直くんもわたしの事を好きに呼んでね」

【直樹】
「お前……いや、えっと、じゃあ、すみれ」

【すみれ】
「うん」

すみれがうなずく。

【直樹】
「すみれは、俺と結婚してくれるのか?」

【すみれ】
「うん。そうだよ」

また、ゆっくりとうなずく。

【直樹】
「すみれがいると、おれは死ななくていいんだな」

【すみれ】
「うん」

今度も、しっかりとうなずいてくれた。

【直樹】
「殺されないんだな。……もう、怖がらなくていいんだな?」

【すみれ】
「うんうん。だいじょうぶ、だいじょうぶ」

そうして何度もうなずいてもらえるたびに、警戒心が減っていく。

頭を撫でられて、だいじょうぶ、と繰り返されると、不安が消えていく。

すごく、心があたたかくなっていく。

【直樹】
「……すみれが、俺を助けてくれるんだな」

【すみれ】
「ちがうよ。お互いに、助け合うんだよ」

【すみれ】
「そうしてずっといっしょにいるのが、結婚なんだって、お母さん言ってたよ」

そう言って笑うすみれを見て、俺は心の底から安堵した。

;▲図書館

【直樹】
「――というのが、俺とすみれの出会いなんだ」

【雛菊】
「……ハァ」

【直樹】
「なっ、なんで、そこで溜め息を吐くんだ!?」

【雛菊】
「あぁ、ごめんなさい。これは自分に対してのものだから、気にしないで」

【雛菊】
「アンタが気に入らないと思ったら、似た者同士の同族嫌悪だったなんて……」

【直樹】
「似た者同士?」

【雛菊】
「アンタに似た、弱虫を知っているってだけよ」

【雛菊】
「その弱虫も、小さい頃は『結婚できない』って言って怯えていたの」

【直樹】
「へぇ! それは親近感が沸くなぁ」

【直樹】
「その人とは、いい友達になれそうだ」

【雛菊】
「……」

【直樹】
「え。なんでそこで目を逸らすんだ?」

【雛菊】
「……別に」

【雛菊】
「それで、どうなのよ?」

【直樹】
「ん? なにが?」

【雛菊】
「私からすみれ先輩の話を聞いたり、過去の事を思い出したりして、ときめいたのかって聞いているの」

【直樹】
「あー……。相変わらず、ないな。ときめき」

むしろ昔のすみれを思い出したら、懐かしさと安心感がましただけのような気もする。

そうして目をすがめる雛菊さんに苦笑いを返していると、すみれがひょっこりと顔を出した。

【すみれ】
「直くん。菊ちゃん。調子はどうかな?」

【雛菊】
「あ、先輩」

【雛菊】
「……残念ですが、今のところ真新しい情報はどこにもありません」

【雛菊】
「結婚腕輪についての記述があっても、こんなものですよ」

『結婚の儀式の際には、腕輪を使用する。
1組の男女の腕にこの輪を装着し、口づけをすると祝福の鐘の音が鳴る』

『腕輪には男女の愛を計測する力があると言われている』

【直樹】
「うーむ。普通に聞いたことのある話だけだな」

【雛菊】
「そういうアンタは?」

【直樹】
「俺が見ていた本には、これぐらいだった」

『腕輪は、政府から各市町村に一定数ずつ配布される』

【雛菊】
「これも、耳にしたことのある情報ね」

【直樹】
「あぁ。そもそも、結婚腕輪が使われるようになってから、まだそこまで経ってないからなぁ」

たしか、結婚制度が始まってからはまだ40年ほどしか経っていないはずだ。

結婚腕輪自体がよくわからないものでもあるため、そこまで記述されているわけでもない。

インターネットを使ってもたいした情報が出てこない事からすると、情報規制されているとも考えられる。

【すみれ】
「そっかぁ。あんまり、腕輪の事って書いてないんだねぇ」

【直樹】
「すみれはどうだ? 近付いて来たって事は、何かあったのか?」

【すみれ】
「うん。気になる本を見つけたよ」

【すみれ】
「昔、結婚できなくて困っていた2人が、なんとか結婚できた話が載っていたんだよ」

【直樹】
「なに!? それは重要そうじゃないか!」

【雛菊】
「えぇ。気になるわね。先輩、その部分を読み上げてください」

【すみれ】
「うん。じゃあ……」

【すみれ】
「『むかしむかし、あるところに』」

……ん?

【すみれ】
「『美しい娘と働き者の若者がおりまして……』」

【雛菊】
「ちょっと先輩。ストップ!」

【すみれ】
「まだ途中だよ?」

【雛菊】
「いや、先に1つ確認しておきたくて……。それ、どれぐらい昔の話ですか?」

【すみれ】
「うーん。……たぶん数百年前、かなぁ」

【雛菊】
「あぁ、やっぱり……」

【直樹】
「すみれ。結婚腕輪が使われるようになったのは、ここ数十年の間だって言ったばかりじゃないか」

【すみれ】
「あ、そっかぁ。うっかりしてたよ」

【すみれ】
「じゃあ、こっちはどうかなぁ?」

そう言って、すみれはもう一冊の本を取り出して読もうとしたが――。

【雛菊】
「先輩、ストップ!」

【すみれ】
「なぁに?」

【雛菊】
「それ、絵本じゃないですか!」

【すみれ】
「うん。そうだよ」

【雛菊】
「それは、フィクション! 空想の話です!」

【すみれ】
「でも、2人が結婚できるようになるお話なんだよ?」

【直樹】
「結婚できる話、か……」

まぁ、一応見てみるか。

そう思って絵本を軽くめくってみる。

どうやら、結婚を許されなかった男女が2人で旅をしていく話らしい。

そうして、数々の試練を乗り越えて、最後には――。

【直樹】
「『かみさま、かみさま。どうかお願いします。私たちの愛を皆に認めてもらいたいのです』」

【直樹】
「『2人がそう言うと、空からかみさまがおりてきて祝福してくれました』」

【雛菊】
「なにそれ。……最後は神頼みで解決、ってわけ?」

【すみれ】
「うん。いい終わり方だよねぇ」

【直樹】
「いい終わり……か?」

【雛菊】
「……他力本願って、好きじゃないわ。運命は自分で選ぶものだもの」

【直樹】
「それで、すみれとしてはこの絵本の何が参考になると思ったんだ?」

【すみれ】
「あのねぇ。神様に聞いてみたらどうかな? って思ったんだよ」

【直樹】
「神様って……なぁ、すみれ。そんなものいないぞ」

【すみれ】
「ううん。そういう宗教的なものじゃなくってね」

【すみれ】
「この国の神様。政府の事だよ」

【直樹】
「政府……。政府、って言われてもなぁ」

たしかに、結婚制度に関わっている人なら腕輪の事も知っているのかもしれない。

けれど、そんな人が知り合いにいただろうか……。

【雛菊】
「そういえば、この腕輪はアンタの親伝いに手に入れたのよね」

【雛菊】
「その伝手を使って、情報を得ることはできないのかしら?」

【直樹】
「さっき父さんにメールして訊いてみたが、駄目だったんだ」

腕輪が鳴らなかった事を教えたらどんな騒ぎになるかわからないため、大分ぼかしたメールにはなってしまったものの、しっかり言っていても答えはかわらなかっただろう。

【直樹】
「父さんは廃棄間際のこの腕輪を、役所の人からさりげなく受け取っただけだからなぁ」

【雛菊】
「廃棄間際……って事は、そもそも腕輪が壊れている可能性もあるのね」

【直樹】
「あぁ。その可能性もあるかもしれないが……それさえも俺たちにはわからないぞ」

壊れていたから鳴らなかったんだ、と思い込んでしまうのは短絡的すぎると思う。

【すみれ】
「うーん。けっきょく、知っていそうな人に聞かなきゃ何もわからない、って事だよね」

うんうん。とすみれは1人で納得したようにうなずくと、そのまま手を打った。

【すみれ】
「じゃあ、それっぽい人の家を訪ねてみたらどうかなぁ」

【直樹】
「そ、それっぽい人?」

【すみれ】
「うん。本人が政治家だったり、そういう知り合いがいそうな人の家」

【直樹】
「そこに、いきなり訪問するっていうの!?」

【すみれ】
「うん。そういう家は、知らないかなぁ?」

政治家だったり、そういう知り合いがいそうな人か……。

……。

【直樹】
「……一軒だけ、心当たりがあるかもしれない」

【直樹】
「だが、駄目だ。訪ねるなんてよくない」

【すみれ】
「どうして?」

【直樹】
「相手の人に迷惑かけちゃうだろうし、そういうところはセキュリティが厳しいから何されるかわからないぞ!」

【直樹】
「しかもそこの住人は怖そうな相手なんだ! 人体改造でもされたらどうするんだ!」

【すみれ】
「わぁ。それ、すごいねぇ」

【雛菊】
「あのねぇ。そんな事、されるはずないでしょ。せいぜい警察を呼ばれるぐらいよ」

【直樹】
「警察が来るなんて一大事じゃないか! 死ぬ!」

【雛菊】
「まぁたしかに、下手すると面倒な事になるかもしれないけれど」

【雛菊】
「このまま何もしなくても、死んでしまうかもしれないわよね?」

【直樹】
「うっ……」

【雛菊】
「可能性に賭けもせず、絵本のように神頼みでもするのかしら?」

【雛菊】
「この世界には神様なんていないのに」

【直樹】
「……っ。わかった。行くよ。行けばいいんだろ」

俺が渋々うなずけば、早速とばかりに雛菊さんが動き出す。

それを、手で制した。

【直樹】
「だが、雛菊さんは付いて来ないでくれ」

【雛菊】
「何よ。怖い相手らしいから、私が付いていってあげようって言うのよ?」

【直樹】
「怖い相手だからこそ、だ。いざという時、俺はすみれを連れて逃げるのが精一杯だからな」

【直樹】
「雛菊さんまで守れない以上、連れて行くわけにはいかない」

【すみれ】
「わぁ。直くん、格好いいねぇ」

【雛菊】
「……たかが訪問に、大げさすぎるわよ」

【雛菊】
「というより、それならアンタ1人で行ってきなさいよ」

【直樹】
「それも駄目だ!」

【雛菊】
「なぜ?」

【直樹】
「怖い相手だからこそ、だ。……1人で話なんてしたら、俺は心臓が止まって死んでしまう……」

【すみれ】
「うんうん。」

【雛菊】
「なによそれ」

【雛菊】
「……まぁ、いいわ。そういう事なら、私はここで資料探しを続けているから」

【雛菊】
「頑張ってきなさい」

【直樹】
「……ああ」

;▲道中

【直樹】
「なぁ。すみれは不安とか感じないのか?」

【すみれ】
「うーん。子供の頃から、直くんが『怖い人』って言った人で、本当に怖かった人なんていなかったからねぇ」

【直樹】
「それはお前が怖がらないだけだ!」

【すみれ】
「そうかなぁ。にっこり笑顔向けたら、お菓子とかくれた人も多かったよ」

【直樹】
「それはお前の運が良かっただけだ!」

【すみれ】
「うんうん。わたしは運がいいから、怖い人と出会わずにいられるんだねぇ」

【すみれ】
「幸運をもたせて産んでくれたお母さんに、感謝しなきゃいけないねぇ」

【直樹】
「……」

【直樹】
「というか、その、不安っていうのは家に訪問する事だけじゃなくてだな。今この状況への不安についての話だ」

【すみれ】
「この状況……」

【すみれ】
「……」

【すみれ】
「直くんと2人で歩くのは、やっぱり嬉しいねぇ」

【直樹】
「そうじゃなくって!」

【すみれ】
「……不安についての話なら、さっきまでは不安だったよ」

【直樹】
「……さっきまでは?」

【すみれ】
「うん。でもね、もう全然不安じゃないよ」

【すみれ】
「もやもやした気持ちは、あっという間に消えちゃった」

【直樹】
「あっという間、か……。お前はいつもそんな感じでいいなぁ……」

うらやましい、とつぶやけばすみれが子首をかしげる。

【すみれ】
「直くんは、まだ怖いんだよね」

【すみれ】
「どんな風に怖いのかな?」

【直樹】
「どんなというと……とにかく怖い。想像すると怖い。目をつぶれば1秒で体が震える」

【すみれ】
「うんうん」

【直樹】
「目をつぶらなくても震える。寒気がする」

【直樹】
「どんな風に殺されるのかわからないから、勝手に想像がひろがって怖くなるんだ」

【すみれ】
「想像、広がっちゃうんだね」

【直樹】
「そりゃそうだろ。わかんないんだから、そこは想像するしかない」

【直樹】
「みんな簡単に『結婚できないと殺される』って言うけどさ、その殺されるってのはなんなんだよ」

【直樹】
「刺されるのか? 殴られるのか? 毒でも使われるのか? 眠るように死んでいくのか?」

【直樹】
「いや、殺され方だけじゃない。殺される前に入れられる、独身監獄だってよくわからないじゃないか」

【すみれ】
「うーん。そうだねぇ。誰も、体験談を教えてくれないんだよねぇ」

【直樹】
「そう。そこだよ!」

【すみれ】
「みんな、隠し事が上手なんだねぇ」

【直樹】
「……違う。そうじゃない」

【直樹】
「誰も体験を語らないんじゃなくて、語れる人間がいないって事だ」

【直樹】
「……監獄に入れられて帰って来た人間なんて、誰1人いないんだ」

【直樹】
「なぁ。怖いだろ。得体のしれない場所に、いきなりつれていかれるんだぞ」

【直樹】
「そのまま、死んじゃうんだぞ!」

【すみれ】
「そうだねぇ……」

【すみれ】
「んー……。ごめんね。考えてみたけど、よくわからないよ」

【すみれ】
「わたし、想像力が足りないのかなぁ」

【直樹】
「……お前なぁ」

すみれは普段から、物事を悪い方面に考える事はあまりない。

それは昔からわかっていた事だが、こんな命の危機に陥っていてもなお、それだとは思わなかった。

ついつい、ため息が出る。

【直樹】
「お前って、不安や恐怖どころか悩み事もなんにもなさそうだなぁ」

【すみれ】
「その言い方は、ひどいよ」

【すみれ】
「わたしだって、いろいろ考えているんだよ」

【直樹】
「……じゃあ、今何か悩んでいる事でもあるのか?」

俺が問いかけると、すみれは口をへの字に曲げて考え始めた。

【すみれ】
「うーん……」

そうして数秒。唸り声が途切れた頃、困ったように笑う。

【すみれ】
「悩み事がないのが、悩みかなぁ」

……だよな。

;▲

【すみれ】
「ここが、心当たりのあるお宅なんだね」

【直樹】
「あぁ。高1の時から同じ、クラスメイトの家なんだ」

【すみれ】
「じゃあ、怖いっていうのはそのクラスメイトさんなんだね」

【直樹】
「……そうだ」

【直樹】
「いいか、すみれ。その人は、とにかくよくわからない。不思議でクールで怖い雰囲気を持っているんだ」

【直樹】
「だから、うかつな行動をとるのはいけない」

【直樹】
「そもそもこの家の場所だって、そのクラスメイトの結婚した相手が有名な人だったから、俺が一方的に知っているだけなんだ」

【直樹】
「相手に失礼がないよう――いや、何も刺激を与えないように、まずは慎重に様子をうかがって」

【すみれ】
「こんにちはぁ」

【直樹】
「って、何やってるんだすみれ!」

【すみれ】
「何って、インターホン押してお話してるんだよ」

【直樹】
「だから、それが駄目なんだって! 危ないんだって!」

【すみれ】
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

すみれは俺の頭をぽんぽんと叩くと、もう片方の手でインターホンに向かって声を出す。

そうして、家の中の人と何回か言葉を交わしたかと思うと、俺に顔を向けた。

【すみれ】
「事情を話したら、わかってくれたよ」

【すみれ】
「ほら、多分もうすぐ――」

すみれが言い終わるか、言い終わらないかといううちに玄関の扉が開く。

そうして、

【直樹】
「ほら、ほらほらほら! やっぱり怖いじゃないか!」

クラスの中で俺が一番苦手とする彼女が、淡々とした声で言った。

【椿】
「どうぞ。中に入ってください」

;▲家

俺の前で、すみれと椿さんが互いに会釈する。

【椿】
「初めまして。直樹さんのクラスメイトの椿です」

【すみれ】
「初めまして。わたしは、直くんの彼女のすみれです」

【椿】
「はい。よろしくお願いします」

【椿】
「私は敬語の方が話しやすいだけですから、すみれさんはもっとくだけた話し方をしてくれて構いませんよ」

【椿】
「同い年ですから、過剰な気遣いはいりません」

【すみれ】
「わぁ。ありがとう」

【すみれ】
「じゃあ、つきちゃんって呼ぶ事にするよ。改めてよろしくね」

【椿】
「はい」

【椿】
「……それで。貴方は、わざわざ怯えるために訪問したんですか?」

【直樹】
「うっ。い、いや、そうじゃないが……」

なんで、すみれはそんなに平然と椿さんと話ができるんだろう。

なんで、つきちゃんって、呼べるんだ。

すみれが、3文字以上の名前の人間を2文字にするのは知っている。だが、つきちゃんって余計に言いにくい気がする。

つばちゃん、とか、ばきちゃん、と呼ぶよりはいいのかもしれないが……。

……いや、今はそんな事を考えていても仕方がない。

【すみれ】
「直くん、そんなにつきちゃんが怖いの?」

【直樹】
「怖い……というか、得体がしれない」

それこそ、俺が椿さんを苦手としている理由だ。

彼女はクラスの中でも、少し違った雰囲気を持っている。

彼女のまわりにはいつも、たやすく他人を近付かせないような、冷めた空気があった。

しかし、それでクラスで浮いているかといえばそうでもなく、女子の間では頼られる事も多いらしい。

一目置かれている、といえるだろう。

だから、悪い人ではないんだろうが……すみれとは真逆ともいえるその冷淡な声が、どうしても気になる。

【直樹】
「椿さんにとっての俺は、本当にただのクラスメイトだろ」

【直樹】
「なのに、こうして普通に家に招かれたのが……怖い」

【すみれ】
「直くん、直くん。それは、つきちゃんがいい人だからだよ」

【すみれ】
「ねぇ。つきちゃん?」

【椿】
「いえ。ただ、面白そうだと思っただけです」

【直樹】
「すみれ! こんな事言ってるぞ! やっぱり帰ろう!」

【すみれ】
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

【すみれ】
「人生を楽しめる人なんだから、怖い人じゃないよ」

【椿】
「そうですよ。今のはただの冗談です」

【椿】
「結婚式を控えた日に訪れるカップル。それも片方は死にそうな顔をしているのを見て、放置するほど薄情ではありません」

【直樹】
「し、死にそう……!?」

【椿】
「あぁ、すみれさんの話によると、比喩ではなく本当の意味で死にそうなんでしたね」

【椿】
「大変ですね」

【すみれ】
「違うよ。大変じゃなくて、とっても大変なんだよ」

【椿】
「そうなんですか。とっても大変なんですね」

【すみれ】
「うんうん」

【直樹】
「……すみれはともかく、椿さんは俺をからかってるだろ」

【椿】
「はい、その通りですよ」

【椿】
「貴方があまりにも怯えているので、場を和ませようかと思ったんです。効果はありましたか?」

【直樹】
「そう言われれば、まぁ、少しは……」

【椿】
「では本題に入りましょう」

【椿】
「たしか、鐘の音を鳴らす方法を知りたいんでしたよね」

【直樹】
「そうだ」

【椿】
「それなら、たしかに私にはある程度の知識があります」

【直樹】
「じゃあ……アドバイスしてくれるのか!?」

【椿】
「はい。しかし、事細かに教えるわけにはいきません」

【椿】
「下手な事を言って、国家転覆罪にでも問われたら面倒ですからね」

【直樹】
「国家……転覆!?」

【すみれ】
「わぁ。なんだか凄い話だねぇ」

【直樹】
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いきなり話が大きすぎて驚いているんだが……」

【椿】
「腕輪のことや、その他結婚制度についての情報を流すという事は、そういう行動だという事です」

【椿】
「まぁ、貴方たちがそのような方面をお望みだというのなら、反政府組織についての情報ぐらいはお教えしますよ」

【直樹】
「い、いやいや。そんなのいらない!」

【すみれ】
「うんうん。わたしたちは、平和に生きたいよねぇ」

【椿】
「そうですか。では、可能な範囲で助言する事にしましょう」

【直樹】
「……ああ。そうしてくれると助かる」

【椿】
「実際に何がいけないのかを確認したいので、この場でキスをしてみてください」

【すみれ】
「はぁい」

……。

【直樹】
「これで、いいか?」

【椿】
「はい。ありがとうございました」

【椿】
「原因がわかりました」

【直樹】
「なっ。もう!? もう、わかったのか!?」

【椿】
「はい。原因はその腕輪ですね。それ、壊れています」

【直樹】
「壊れて……るのか? 見た目としては、少しくすんでいる程度だが……」

【椿】
「部品が足りないんですよ」

【椿】
「音を鳴らすためには、ある部品が必要なんです。しかし、それが今ここにはない。だから鳴らない」

【椿】
「単純で、明快ですね」

【すみれ】
「そっかぁ。わかって良かったね、直くん」

【直樹】
「あ、あぁ……」

椿さんにそう言われて、安心できる部分はあった。

だが、こんなにアッサリとしていて良いんだろうか。

【直樹】
「……本当に、壊れているのか?」

【椿】
「私を疑うんですか」

【直樹】
「そういうわけじゃないが……。触ってもいないのにそう断言されるとなぁ」

……実は、壊れていなかったとしたら?

そう考えてしまえば、不安は再び巻き上がる。

【すみれ】
「直くん。つきちゃんの言う事、信じようよ」

【直樹】
「だが、もしかしたら――」

【椿】
「すみません。電話、出てもいいですか?」

【すみれ】
「うん。どうぞどうぞ」

【直樹】
「あ……」

【椿】
「では失礼します」

【椿】
「……はい。なんですか突然。貴方は今、彼の代わりに買い物をしているところだったのでは?」

【椿】
「結婚式の時、貴方が彼をサポートすると決めたのですから、しっかりしてもらわないと困ります」

【椿】
「……はいはい。そうですか。相変わらず寂しがり屋ですね」

【椿】
「……今は自宅ですよ。はい。お客さんが来ているので早くしてください」

【椿】
「……ああ、男性もいますよ。それがなにか?」

【椿】
「不倫? へぇ。貴方がそんな事を言うんですか。ずいぶんと、偉くなったものですね」

【椿】
「いえいえ。そのあたりの考えが改まったようで何よりです」

【椿】
「だからといって、私がそんな節操なしだと思われるのは非常に不愉快です」

【椿】
「……帰ってきたら、覚悟しておいてくださいね」

低い声でそう言い切ると、椿さんは電話を切った。

【椿】
「……。お話中に、失礼しました」

【すみれ】
「ううん。気にしてないよ」

【すみれ】
「なんだか、楽しそうな電話だったねぇ」

【椿】
「……そうですか?」

【すみれ】
「うんうん。つきちゃんの雰囲気が、なんだか違うなぁって思ったよ」

【椿】
「……そうですか」

【椿】
「それで? 貴方は先程、何かを言おうとしていませんでしたか?」

【直樹】
「いや……」

このタイミングで言う気にはなれず、首を振る。

すると、椿さんは「そうですか」とさして気にした風もなくつぶやいた。

それから、不意に立ち上がる。

【椿】
「貴方たちの不安も解消されたようですし、改めてお茶会でもしましょうか」

【すみれ】
「わぁ。いいの?」

【椿】
「はい。少々雑談するのもいいですから」

【すみれ】
「そっかぁ。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうか、直くん」

【すみれ】
「菊ちゃんには、今のことをわたしからメールしておくからね」

【直樹】
「……あぁ」

まだスッキリしない部分はあるが……少し、話をしていくか。
;▲

【すみれ】
「わぁ。どれも美味しそうだねぇ」

ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、アップルパイ、シュークリーム……等など。

俺では名前もよく知らないような食べ物が、テーブルの上に所狭しと並ぶ。

【椿】
「どうぞ。お好きなものを食べてください」

【すみれ】
「うん。ありがとう」

【直樹】
「い、いいのか? すみれはそれなりに食べるぞ?」

【すみれ】
「もう。それなり、じゃないよ。たくさん、食べるよ」

【直樹】
「……という事らしいぞ」

【椿】
「構いませんよ。むしろ、夫が多く買いすぎてきて困っていたところなので、丁度良いぐらいです」

「あの人、加減を知らないんですよ」とつぶやく椿さんは、ソファに座る。

しかし、その手には俺たちのようなフォークがなかった。

かわりに、手にビニール袋を提げている。

【直樹】
「……椿さんは、食べないのか?」

【椿】
「はい。どうぞお気になさらず召し上がってください」

そう言ったかと思うと、彼女はビニール袋から何かを取り出す。

オレンジ色のあれは……なんの変哲もないみかんか。

その皮を丁寧に剥いたかと思うと、椿さんはもそもそとみかんを食べる。

表情一つ変わらず淡々と食べているのでわかりにくいが、一連の動作が早いところを見ると好物なのかもしれない。

【椿】
「……それで。貴方達は、いつまでそれをつけているんですか?」

【すみれ】
「あ。ついつい忘れてたよ」

【直樹】
「そういえば」

指摘されて自分の腕を見れば、まだそこには腕輪がつながっていた。

苦笑しながらすみれと共に腕輪を外し、バッグの中にしまっていれば、真剣な眼差しをした椿さんと視線がからまった。

【直樹】
「……な、なんですか?」

【椿】
「いえ。互いの腕が鎖でつながっている以上、動作に支障が出ていたはずなのですが」

【椿】
「まるで気が付かないなんて、凄いと思いまして」

【すみれ】
「直くん。わたしたち、褒められちゃったねぇ」

【直樹】
「いや。これは褒められたというか、呆れられてるだけだろ……」

凄い。凄い――鈍感だ、と椿さんの目が言っている。

【椿】
「そういえば、お2人はその腕輪の別名を知っていますか?」

【直樹】
「名前って……結婚腕輪は結婚腕輪だろ?」

【すみれ】
「うんうん。結婚するための腕輪だからねぇ」

【椿】
「はい。ですが、『人生の手錠』と呼ばれる事もあるんですよ」

【椿】
「結婚できなければ独身監獄。結婚したら結婚生活という名の監獄に」

【椿】
「いずれにせよ自由を奪う枷になる、と」

【直樹】
「結婚生活が……監獄?」

俺からすれば、ようやくこの十数年の気がかりが消えてくれた、という開放感に浸る事ができそうなのだが。

【椿】
「未来の事も、しっかり考えておいた方がいいですよ」

【椿】
「結婚式制度では、結婚を終わりだと考える方が多すぎます」

【椿】
「結婚できた。良かった良かった。なんとか生き延びる事ができた。そんな安心感は一時のものだけですよ」

【椿】
「その後には、より長い結婚生活が続いているという事は念頭におかなければなりません」

【すみれ】
「わぁ。さすが、経験者の言葉は重いねぇ」

【すみれ】
「そんなつきちゃんは、いつ結婚したの?」

【椿】
「2年前です」

【すみれ】
「じゃあ、16歳で結婚したんだね。早いねぇ」

【椿】
「えぇ。死ぬ死ぬと騒ぐ人がいたので、黙らせました」

【直樹】
「だ、黙らせるって……」

【椿】
「黙らせるには、口を塞ぐのが手っ取り早いですから」

【すみれ】
「わぁ。積極的だったんだねぇ」

【直樹】
「……なぁ、椿さんはどうなんだ? その、結婚生活は……」

【椿】
「不幸です。後悔しています。これなら結婚せずに死んだ方がマシでした」

【直樹】
「え」

【椿】
「と、言ったらどうしますか?」

【直樹】
「どう、って言われても……」

【椿】
「私が仮に不幸と言ったとしても、幸せだと言ったとしても」

【椿】
「貴方には、私が何を思って不幸と言ったのか、幸せと言ったのか、その本質までは理解できないでしょう」

【直樹】
「まぁ、たしかに……」

【椿】
「どんなに言葉を交わしても、何を使っても、人の心を完全に知る事なんてできませんよ」

【椿】
「そこにはただ、知った気になっている人間がいるだけです」

そう言って、椿さんはそっと目を細めた。

;▲

【すみれ】
「ケーキ、おいしかったねぇ」

【直樹】
「……たくさん食べてたけど、お腹は大丈夫か?」

【すみれ】
「うん。へいき、へいき」

椿さんの家から出て、俺たちはまた歩いていた。

向かう先は再び図書館。雛菊さんが、念のためにまだ調べ物を続けているらしいからだ。

【すみれ】
「甘いものを食べている時って、すごく幸せになれるよねぇ」

【すみれ】
「頭がね、ふわふわぁっとする感覚があるんだよ」

【直樹】
「そうか。それは良かったなぁ」

【すみれ】
「今も、すごく頭が軽くてねぇ。ふわふわぁっとしている気がするんだよ」

【直樹】
「そうかそうか。ふわふわっと……。って、ん?」

待てよ。そういえば、よく見ると何かが足りないような……。

【直樹】
「おい、すみれ。帽子はどうしたんだ」

【すみれ】
「帽子?」

すみれは小首をかしげる。

それから緩慢な動作で手を頭の上にもっていって、ひらひらと揺らした。

【すみれ】
「うーん……」

【すみれ】
「……」

【すみれ】
「ないねぇ」

【直樹】
「ない、って……椿さんのところに忘れてきたのか?」

いや、しかし。たしか家を出た時にはしっかりとかぶっていた気がする。

【直樹】
「どこかに、落としたのか……?」

【すみれ】
「どこだろうねぇ?」

ゆらり、ゆらり。右へ左へと、すみれは顔を傾ける。

そうして頭に疑問符を浮かべ続けたかと思うと、

【すみれ】
「ひゃっ」

【直樹】
「ひゃっ!?」

【直樹】
「どどど、どうしたんだ!? 何かあったのか?」

【すみれ】
「もぅ。とぼけないでよ、直くん」

【すみれ】
「今わたしの服ひっぱったの、直くんだよね?」

【直樹】
「いや、俺は何も引っ張ってなんていないが……」

【すみれ】
「あれぇ? じゃあ、今のは……」

んんん? と、2人してすみれの後ろを見てみる。

と、なんかいた。

【???】(後のガーベラ)
「……」

【直樹】
「うわっ。お、お前はなんだ!?」

突然現れた女の子を見て、思わず俺は飛び退く。

すると、その子もびくりと飛び跳ねた。

【???】
「っ!」

【直樹】
「な、なんだお前。すみれに、危害を加えるつもりか……っ!?」

そうだとしたら、今すぐすみれの手をとって、走って逃げ――。

【すみれ】
「違うよ、直くん。この子をよく見てよ」

【直樹】
「え?」

【すみれ】
「あなたは、これを拾ってくれたんだねぇ」

すみれが言うと、その子はこくりとうなずいて持っていたものを差し出す。

【???】
「……」

【すみれ】
「わたしの枕を拾ってくれて、ありがとう」

【直樹】
「そうか。落としたのを拾って……」

【直樹】
「って、枕? それ、帽子じゃなかったのか?」

【すみれ】
「帽子だけど、枕でもあるんだよ」

【すみれ】
「これ、すっごくふかふかしててねぇ。眠くなった時にすぐ使えるんだよ」

【すみれ】
「ほら。中に綿をつめると、もっとふっかふかだよ」

【???】
「……おぉ」

【すみれ】
「あ。あなた、気になるの? 触ってみる?」

すみれがその子に向かって枕、いや、帽子を差し出す。

すると、その子はおそるおそるといった風に手を伸ばし、

【???】
「……」

指先が触れたかと思うと、全身をびくりと震わせてどこかへ走って行った。

そうして、その姿はあっという間に見えなくなる。

【すみれ】
「うんうん。気に入ってくれたんだねぇ」

【すみれ】
「嬉しさのあまり走り出しちゃうなんて、すごいねぇ」

【直樹】
「いや、そういうわけじゃないと思うんだが……」

【直樹】
「……なんだったんだ、あれ」

【すみれ】
「親切な子だったねぇ」

【直樹】
「それはそうなんだろうが、ずいぶん挙動不審な子だったな」

【すみれ】
「うーん……そうかなぁ」

【すみれ】
「あれぐらいが、普通なんじゃないかなぁ」

【直樹】
「あれが普通、って……」

【すみれ】
「だって、昔の直くんは今の子よりすごかったよ」

【直樹】
「……そう、だったか?」

【すみれ】
「うん。懐かしいねぇ」

【直樹】
「……」

記憶にないな、と俺は視線をそらす。

正直、昔の自分の事は思い出したくない。今よりももっと世界のすべてを警戒して、怯えていた自覚がある。

このまま話を逸らしてしまおうと思ったが、すみれはそんな俺に気づかず言葉を続ける。

【すみれ】
「直くんは、わたしの顔みて『おまえは誰だ!』って言った事もあったよねぇ」

【直樹】
「……そうだったかな」

【すみれ】
「うんうん。『おまえはすみれの姿をした別人かもしれない!』なんて言われて、面白かったなぁ」

【直樹】
「そこは普通、傷つくところじゃないのか。他人だと疑われたんだぞ」

【すみれ】
「他人と疑われる経験なんて、そうそうないからねぇ」

【すみれ】
「珍しい経験をしたなぁって、思い出す度に思うよ」

すみれは嬉しそうにそう言って、また、昔を思い出すように目を細める。

【すみれ】
「直くん、何かあるとすぐにいろんな人のかげに隠れたよねぇ」

【直樹】
「……まぁ、な」

【すみれ】
「お母さんとか、お父さんとか、友達とか、飼い犬のぺろちゃんとか、おばあちゃんとか、いろんな人に隠れて」

【すみれ】
「でも、最後にいっつもわたしの背中に隠れるから、面白かったなぁ」

【直樹】
「それも、面白かったのか」

【すみれ】
「うんうん」

【すみれ】
「そのたびに、直くんは『やっぱりすみれの傍が一番安心するなぁ。癒されるなぁ』って、笑ってたよねぇ」

【すみれ】
「わたしも、直くんの傍が一番落ち着ける場所だなぁって思うよ」

そう言って微笑むすみれの顔は、やっぱり柔らかくて、癒される。

……。

いやいや、和んでいる場合じゃない。

今はまだ、腕輪の事を考えなければ。

;▲

そうして昔の話を交えながら雛菊さんのところに戻ると、彼女は丁度誰かと話し終えたところだったらしい。

【???】
「……」

話し相手の女性は俺たちの方を見ると、軽く頭を下げてから去っていく

その女性を手を振って見送る雛菊さんに、俺たちは近付いた。

【すみれ】
「菊ちゃん。ただいまぁ」

【雛菊】
「あ、先輩」

【すみれ】
「今話していたのって、さらちゃん?」

【雛菊】
「はい。彼女の父親も結婚式に関わっていると聞いた事があったので、一応話を聞いていたんです」

【直樹】
「えっと……さらちゃん、って?」

【すみれ】
「菊ちゃんのお友達だよ。2人は仲が良いんだよねぇ」

【雛菊】
「……まぁ、ほどほどに」

【すみれ】
「またまたぁ。照れちゃって、可愛いねぇ」

【雛菊】
「……別に、照れてません」

【すみれ】
「でも、そっかぁ。さらちゃんのお父さんって、そういうお仕事だったんだねぇ」

【直樹】
「その父親から、何か情報はもらえたのか?」

【雛菊】
「えぇ。どうやら、アンタが取ってきた情報の裏はとれたみたいよ」

【雛菊】
「あの子の父親も、アンタのクラスメイトと同じ事を言っていたらしいの」

【直樹】
「同じ事、というと……」

【雛菊】
「『その結婚腕輪には欠けているものがあるから、音はならない』とね」

【直樹】
「……そうか」

【すみれ】
「そっかぁ。やっぱり、つきちゃんが言ってたのは正しかったんだねぇ」

【雛菊】
「私はその人の話を伏せたうえで訊いたから、偶然ではないはず」

【雛菊】
「詳しくは教えてもらえなかったけれど、その筋の人からしてみれば、ここにある結婚腕輪に何かが足りない事はすぐにわかるみたいね」

【すみれ】
「うんうん。原因がはっきりして良かったねぇ、直くん」

【直樹】
「……そう、か」

【雛菊】
「なによ。微妙な返事ね」

【直樹】
「……そりゃ、なぁ。だって、わからない事ばかりでもやもやするじゃないか」

【直樹】
「仮に、ここにある腕輪が壊れていたとする」

【直樹】
「その場合、鳴らない原因はわかったが、実際に結婚式の時に鐘が鳴るかはわからないじゃないか!」

【すみれ】
「そうだねぇ」

【雛菊】
「まぁ、そうだけど」

【直樹】
「な、なんだよその気の抜けた反応は」

【すみれ】
「だって、直くん。それが普通なんだよ?」

【雛菊】
「えぇ。世の中のカップルは、それを承知のうえで結婚式へ参列する」

【雛菊】
「今回のアンタみたいに、あらかじめ結婚腕輪を入手して試そうなんていう方がずるいのよ?」

【直樹】
「うっ……」

【雛菊】
「たまたま手に入れたその腕輪が鳴らなかったから大騒ぎしてしまったけれど、壊れていたとわかればなんの問題もないわ」

【雛菊】
「他の人と同じ。平等なスタートラインに立ったんだから、それでいいでしょう」

【直樹】
「……そんな風には考えられない」

【直樹】
「だって、怖いだろ」

【すみれ】
「直くんは、相変わらず心配性だねぇ」

【雛菊】
「……アンタ、そんなに不安なの?」

【直樹】
「そりゃあ当然、不安だ。命がかかってるんだからな」

【雛菊】
「命、ね」

【雛菊】
「……それは誰の命の心配なのかしら」

【直樹】
「誰の、って……」

【雛菊】
「誰かと付き合うという事は、その人間の命を背負うという事だわ」

【雛菊】
「少し好き合っているからいい、なんて思わないで」

【雛菊】
「世間から排他される恋をすれば、相手か自分が死ぬかもしれない。……ここは、そういう国なのよ」

【雛菊】
「好きだ愛だと言えばすべてが上手くいくだなんて、思わないで」

【雛菊】
「本当にその相手でいいのか。その相手の人生を背負う事ができるのか」

【雛菊】
「よく考えて、覚悟したうえで結婚に挑むべきなのよ」

【雛菊】
「アンタには、その覚悟がないんじゃないの?」

【直樹】
「覚悟、って言われても……」

【雛菊】
「結婚には死が――危険がつきまとうものなのよ。それに立ち向かう覚悟もなく結婚しようなんて、馬鹿らしいわ」

【すみれ】
「うーん。それはちょっと、極論だと思うけど……」

【雛菊】
「すみれ先輩は黙っていてください」

【雛菊】
「だいたい、この男がいつまでもうじうじしているからいけないのよ」

【直樹】
「うじうじ、って……こうして悩むのは、普通の事だろ」

【雛菊】
「いいえ。アンタのは特別わずらわしいわ」

【雛菊】
「アンタがそんなだから、すみれ先輩が困っていたんじゃないの」

【雛菊】
「本来なら、アンタがもっと堂々と構えて安心させるべきなのに。逆にぎゃーぎゃー騒いじゃってみっともないわ」

【雛菊】
「そんなの、彼氏失格よ」

【直樹】
「なっ……!」

彼氏、失格……!?

【雛菊】
「アンタみたいな人間が、すみれ先輩と結婚するなんて許さないわ!」

【すみれ】
「菊ちゃん、言いすぎだよ」

【すみれ】
「菊ちゃんがなにを言おうと、直くんはわたしの彼氏で、」

【直樹】
「……っ。これ以上、話していられるか!」

俺は怒鳴ると、その場から駆け出した。
;▲

【直樹】
「なんなんだよ、あの人は……っ!」

まるで、俺がおかしいみたいな言い方をする。

命をかける事を怖がるな、とでも言わんばかりだ。やめてほしい。

あの人、どこかが麻痺しているんじゃないだろうか。

死ぬのは怖い。死ぬかもしれない可能性があったら怯える。そんなの、当たり前のはずじゃないか。

【直樹】
「それなのに、なんで俺ばっかり悪いかのような言い方で……っ」

【すみれ】
「直くん」

【直樹】
「っ、すみれ……!?」

【すみれ】
「直くん、落ち着いて」

【すみれ】
「あのね。直くん。嫌な思いさせてごめんね」

【すみれ】
「菊ちゃんは、今ちょっといろいろ考えすぎちゃっただけだと思う。だから、きっと少し落ち着けばもっと冷静に話し合えるはずだよ」

【直樹】
「……話し合える、か」

【直樹】
「そもそも、すみれこそどうなんだ」

【すみれ】
「……わたし?」

【直樹】
「お前は、最初からずっと焦ってないじゃないか」

【直樹】
「何も不安にもならなくて、怖がらなくて、いつも通りじゃないか」

【直樹】
「自分が死ぬかもしれないっていうのに全然平気な顔で、あの雛菊って子の事を心配するぐらいに余裕がある」

【直樹】
「だから、そんなお前から見ても……俺はなさけないだろ」

【直樹】
「こんなやつを彼氏にしなければ良かったって、そう思ったんじゃないのか?」

【直樹】
「だから、さっきだって昔のなさけない俺の話をして、」

【すみれ】
「ごめんね」

【直樹】
「すみれ……?」

【すみれ】
「不安になれなくて、ごめんね」

【すみれ】
「わたしは今日たくさん考えてみたけど……だめだったよ」

【すみれ】
「どんなに考えても、ほんの少しだって、死んじゃうかもしれないっていう怖さが浮かばなかったんだよ」

【直樹】
「え……? 本当に、まったく怖くなかったのか?」

【すみれ】
「うん」

【すみれ】
「だから、直くんの気持ちを理解できないよ」

【すみれ】
「これじゃあ、彼女失格だよねぇ」

困ったなぁ、とすみれが眉尻を下げる。

それは、「悩み事がないのが悩み」だと言い切った時と同じ表情だった。

……本当に、すみれは悩めなくて悩んでいたのか。

【直樹】
「あれ。……でも、さっき不安を感じたとは言ったじゃないか」

【すみれ】
「うん。感じたよ。でも、本当にほんの少しだった。悩む暇も、怖がる暇もなかったよ」

【すみれ】
「だって、直くんはそんなわたしの不安も、すぐに拭ってくれたから」

【直樹】
「俺が……?」

【すみれ】
「あのね、直くん」

【すみれ】
「わたしがほんの少しでも不安に思ったのは、死ぬかもしれないって事じゃないんだよ」

【すみれ】
「きみが、『別れよう』っていつ言い出すかが不安だったんだよ」

【直樹】
「へ……? 別れる……?」

【すみれ】
「うん」

【すみれ】
「だってわたしたち、結婚するためにあの時出会ったんだよ」

【すみれ】
「そのためだけに、お母さんたちがわたしたちを会わせたんだよ」

【すみれ】
「だから、結婚できないかもしれないってなったら、わたしの意味はなくなっちゃって……」

【すみれ】
「『お互いに他の人と結婚しよう』って、言われるかと思った」

【直樹】
「何言ってるんだ。……ば、馬鹿にしないでくれ!」

【直樹】
「たしかに、俺たちは結婚する事を決められていたかもしれない」

【直樹】
「でも、それは子供の頃の話だぞ」

【直樹】
「すみれ以外と結婚したいと思ったら、母さん達にそう言ってる。それぐらいの意思は、俺にだってあるんだ!」

【すみれ】
「うん。うん。落ち着いて、直くん」

【すみれ】
「言ったよね。そんな不安は、ほんの少しだけだったんだよ」

【すみれ】
「もう、ちゃんとわかってるよ。それがわかったかから、わたしは怖くなかったんだよ」

【すみれ】
「みんな、勝手だよねぇ。菊ちゃんも、ちょっと勝手かなぁ」

【すみれ】
「これまで、『あんな弱々しいやつのどこがいいの』って、よく言われたよ」

【直樹】
「……そうだったのか」

【すみれ】
「うん。ひどいよねぇ」

【すみれ】
「直くんは弱々しいんじゃなくて、ただ、すっごく怯えやすいだけなのにねぇ」

みんなひどい、と。責めるような言葉さえも、すみれは穏やかな声で言う。

【すみれ】
「でも、やっぱり私は間違ってなかったよ」

【すみれ】
「やっぱり、好きだなぁって思うよ」

【すみれ】
「ねぇ、直くん」

【すみれ】
「わたしは、『死んじゃう、死んじゃう』っておびえるきみが好きだよ」

【すみれ】
「きみは、別れるとは騒がなかった。鐘の音が鳴らないのはわたしのせいかもしれないって責める事もしなかった」

【すみれ】
「自分が死ぬかもしれないって思っても、怖がっても、それだけは言わなかった」

【すみれ】
「あくまでもわたしと付き合ったままの道を探そうとしてくれた」

【すみれ】
「そんなきみが、わたしは好きだよ」

【直樹】
「すみれ……」

【すみれ】
「だから、だいじょうぶ、だいじょうぶ」

【すみれ】
「直くんは死なないよ。こんなにわたしが好きなきみが、死ぬわけないよ。この想いが、嘘なわけないよ」

【すみれ】
「ちゃんと、鐘の音は鳴るはずだよ」

そう言って微笑むすみれを見て、俺は唇を噛み締める。

……俺は、ただ自分とすみれの死を怖がっていた。心配する事が愛情だと思っていた。

でも、すみれは違ったのか。そこまで自分達の気持ちを信じていたのか。

だから、まったく怖がらなかったのか。

何やってるんだ、俺は……。これは、雛菊さんに言われた通りじゃないか。

俺は覚悟が足りなかったんだ。自分の気持ちを信じるという事ができていなかった。

だからこんな、壊れた結婚腕輪なんかに振り回されて、1人で騒いでいたんだ。

【直樹】
「……ごめん。謝るのは、俺の方だ」

【すみれ】
「どうして?」

【直樹】
「怖がっているだけだったからだ。俺は、腕輪が鳴らない事ばかりを考えていた」

【直樹】
「それはお互いの愛情を疑っているだけだったっていうのに、それにさえ気付かなかった」

【直樹】
「だから、ごめん」

【すみれ】
「うーん。それは直くんの個性だから、いいと思うんだけど……」

【すみれ】
「謝りたい気持ちになったなら、菊ちゃんのところに戻ろうか」

【直樹】
「……そうだな。彼女にも、謝ろう」

;▲
そうしてすみれと共に戻ってみると、雛菊さんはまだ図書館にいてくれた。

どうやら、何か本を読んでいるみたいだが……。

【すみれ】
「菊ちゃん」

【雛菊】
「きゃっ! ……先輩。戻ってきたんですね」

【雛菊】
「それから……」

【雛菊】
「そこのアンタ。まだ、私になさけない顔を見せにくるなんて思わなかったわ」

【直樹】
「うっ……」

相変わらず、言葉が刺々しい。

やっぱり謝ってもうまくいかないかもしれない、と思った時、すみれが俺の肩を叩いた。

【すみれ】
「良かったねぇ、直くん」

【直樹】
「えっ?」

【すみれ】
「心配しなくてもだいじょうぶだよ。って、菊ちゃんの持ってる本が言ってるよ」

【雛菊】
「本、って……あっ。ちょっと、先輩!」

【直樹】
「本がどうかしたのか? ……って、あ」

すみれが掲げる本は子供向けのもので、開かれたページには……。

【直樹】
「『けんかした時の、仲直りの方法』……」

【すみれ】
「仲直り、したかったんだねぇ」

【雛菊】
「いえっ。そ、それは、その……」

【直樹】
「仲直り、しようと思ったのか」

【雛菊】
「ち、違うわよ! アンタに投げつけて、礼儀を教えてあげようかと思っただけだわ!」

【すみれ】
「そっかぁ。礼儀を教えてあげたいって思うくらい、仲良くしたいんだねぇ」

【雛菊】
「だっ、だから……!」

【すみれ】
「じゃあ、まずはお互いにお話するところからだね」

【すみれ】
「はい、まずは直くん」

【直樹】
「……雛菊さん。さっきは怒鳴って出て行ってしまって、ごめん」

【直樹】
「冷静になれば、雛菊さんの言っている事は正しいとわかった。完全にできるとはいわないが、ある程度覚悟を決めて結婚式にいどむ」

【直樹】
「だから、俺をすみれの彼氏だと認めてくれないか?」

【雛菊】
「……なによそれ。それを認めるのは、私じゃないわ」

【雛菊】
「……私の方も、その、悪かったわね」

【雛菊】
「言った事が間違っているとは思わないけれど……言葉にトゲがあった事は認めるわ」

【雛菊】
「幸せそうな2人が羨ましくて、嫉妬して、八つ当たりを、していたの」

【雛菊】
「……ごめんなさい」

そう言って、雛菊さんは頭を下げる。

【直樹】
「八つ当たり……だったのか?」

【雛菊】
「そうよ。……悪い?」

【すみれ】
「そんな事ないよ。八つ当たりされるほど幸せに見えたなんて、嬉しいよねぇ」

【直樹】
「あぁ。それならそうと、早く言ってくれれば良かったのに」

【雛菊】
「言えるわけないでしょ」

雛菊さんが唇を尖らせる。

その様子を微笑ましく思っていると、不意にすみれがうなった。

【すみれ】
「うーん……」

【直樹】
「すみれ? どうしたんだ?」

【すみれ】
「直くん、まだ不安な気持ちは残ってるよね?」

【直樹】
「う……。まぁ、そりゃあな」

【雛菊】
「……ハァ。アンタ、まだ怖がってるの?」

【直樹】
「だって、鳴らない可能性は、ゼロじゃないわけだし……」

【直樹】
「ふ、不安なものは不安なんだよ! 仕方ないだろ」

【すみれ】
「うんうん。それでこそ、直くんだよねぇ」

【すみれ】
「だから、そんな直くんがもっと安心できるように、具体的な案はないかなぁって思って考えているんだけど……」

【すみれ】
「うーん……」

【直樹】
「いやいや。散々悩んでも出てこなかったんだから、これ以上考えてもどうしようもないだろ」

【直樹】
「鐘の音を絶対に鳴らす方法なんて、どこにも……」

【雛菊】
「あら。あるわよ」

【直樹】
「えっ!?」

【雛菊】
「簡単な話よ」

【雛菊】
「鳴らないなら、自分で鳴らせばいいわ。録音した鐘の音を大音量で流しなさい」

【直樹】
「いや、それはさすがに……バレそうだよ」

【雛菊】
「そうかしら。アンタ達2人なら、どうとでもできそうだけど……」

【すみれ】
「あ。そっかぁ」

【直樹】
「ん?」

【すみれ】
「キスしても鳴らなかったら、キスをすればいいんだね」

【直樹】
「……どういう事だ?」

【すみれ】
「だって、1回で鳴らなかったらダメなんて聞いた事がないよ」

【すみれ】
「だから何回でも、鳴るまですればいいんだよ」

【すみれ】
「ずっと、『わたし達は今、誓いのキスの最中だよ』って言えばいいよ」

【すみれ】
「そうしてそのまま、一生言い続ければいいんじゃないかな」

【直樹】
「一生……」

【雛菊】
「言い続ける……」

【雛菊】
「……ふふっ。いいと思いますよ、先輩」

【直樹】
「たしかに。めちゃくちゃだが……死ぬよりはマシ、か」

【直樹】
「ありがとう。すみれのおかげで、今度こそ不安が消えたぞ」

【すみれ】
「そっかぁ。良かった」

もちろん、実際にそんな事がまかり通るなんて思わない。

けれど、いざとなったらそう言えば良い。俺の隣で、同じようにそんな、馬鹿らしい主張をしてくれるすみれがいる。

そう思うと、もう、怖いものは何もなかった。

;▲ED

俺たちは、そっとキスをした。

俺たちは、思い切りキスをした。

俺たちは、ゆっくりキスをした。

俺たちは、とにかくキスをしてキスをしてキスをしてキスをした。

そして――鐘の音が鳴る。

何度も何度も繰り返し鳴り響くその音は、式場中に響き渡った。

周囲から、いくつもの「おめでとう」という声がかかる。

そうして向けられた笑顔にそれぞれ手を振って、拍手の音と共に壇上から2人で降りていく。

その途中、ふと彼女の姿が目に入った。

【直樹】
「ごめん。ちょっと、雛菊さんと話してきてもいいかな?」

【すみれ】
「うん。じゃあ、わたしはお母さんたちと話してくるねぇ」

ひらひらと手を振るすみれと別れて、そのまま雛菊さんの方へと向かう。

【直樹】
「雛菊さん」

【雛菊】
「……無事、結婚できたみたいね。おめでとう」

【直樹】
「あ、うん。ありがとう」

【雛菊】
「で? 何のために、わざわざ私の方に?」

【直樹】
「えっと、その……1つだけ、訊いてもいいか?」

【雛菊】
「何かしら?」

【直樹】
「壇上に登って、鐘の音が鳴った瞬間、ふと昨日の会話を思い出したんだ」

【直樹】
「それで、気になったんだけど。君が2年前に起こした騒ぎっていうのは、もしかして鐘の音を自分で……」

【雛菊】
「……だとしたら、何?」

【直樹】
「いや、その……。しっかり、謝ろうと思って」

もしも彼女が録音した鐘の音を鳴らしたのだとしたら、鐘の音を鳴らしたくても鳴らせなかった相手がいた、という事になる。

その場合、今回の彼女の態度は仕方がない。

鳴らしたくても鳴らせなかった人が、鳴らせる立場にあるはずの人間の「鳴らないかもしれないから怖い」という言葉を聞けば苛立つのは当然だ。

そう思って頭を下げると、雛菊さんは首を振る。

【雛菊】
「謝らなくていいわ」

【雛菊】
「2年前の事なんて、別にたいした事じゃないの。1人の子供が、わがままを言っただけ」

【雛菊】
「そしてその子供は、わがままを言った事に対しては何も後悔していない」

【雛菊】
「だから、それでいいのよ」

【直樹】
「雛菊さん……」

【雛菊】
「アンタは私の事なんて気にしてないで、すみれ先輩――アンタにとって1番大切な人の事だけを考えていてちょうだい」

【雛菊】
「話がそれだけなら、私はちょっとあっちへ行くから」

【直樹】
「えっ? あっち、って……?」

【雛菊】
「私には、他に祝福してあげなきゃいけない相手がいるのよ」

【雛菊】
「それに、いつまでも新婦から新郎をとっておくわけにはいかないでしょう?」

【直樹】
「あ」

ちょいちょい、と雛菊さんが指差す先を見れば、1人で壁に寄りかかっているすみれの姿があった。

目を閉じて、例の帽子を壁と頭の間に挟んでいるところからすると、寝る寸前なんだろう。

慌てて、俺は近くに駆け寄る。

【直樹】
「すみれ。すみれ。ここは寝る場所じゃないぞ」

【すみれ】
「……んー。……直くん」

【すみれ】
「もう、菊ちゃんとのお話はいいの?」

【直樹】
「ああ。放っておいて悪かったな」

【すみれ】
「ううん。眠かったから、丁度良かったよ」

ふあぁ、とアクビをしながら背を伸ばす様子からすると、すでに眠っていたのかもしれない。

呆れつつ帽子を頭に乗せ直してやれば、すみれが微笑む。

【すみれ】
「直くん」

【直樹】
「ん?」

【すみれ】
「結婚できて、良かった」

【すみれ】
「わたしたち、幸せだねぇ」

【直樹】
「……うーむ」

【直樹】
「それは違うぞ、すみれ」

【すみれ】
「……あれ?」

【直樹】
「とっても、幸せだ」

【すみれ】
「あ……。うん」

【すみれ】
「とっても、幸せだねぇ」

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